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「飛鳥・藤原の宮都」の
世界遺産登録をめざして

世界文化遺産の登録をめざして

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  • 6世紀末から8世紀はじめの飛鳥時代、政治・文化の中心であった「飛鳥・藤原」。奈良盆地の南部、現在の橿原市・桜井市・明日香村にまたがる地域です。世界遺産登録を目指す「飛鳥・藤原の宮都」は19の資産で構成されており、「宮殿・官衙跡」・「仏教寺院跡」・「墳墓」の3つに分類することができます。現代まで良好に保存されてきたこれらの資産は、東アジアとの交流を図りながら国の基礎をつくり、「日本」が成立していった過程を示しています。

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  • 飛鳥時代になると、天皇が代わるごとに遷していた宮はしだいに一カ所に定着するようになります。宮殿のまわりには政務や祭祀、迎賓のための施設などが増設され、国家体制が発達していきました。やがて、694年には中央集権体制が確立したことを示す宮都・藤原京が誕生することになります。

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  • また、飛鳥時代は、東アジアとの交流によりさまざまな文化・技術が伝わった時代でもありました。その一つが仏教です。飛鳥時代にはじめて寺院が建立されると、有力豪族たちによって、次々と寺院が建てられていきました。そんな寺院の建立にあたり欠かせなかったのは、東アジアからの最新技術です。寺院をはじめ、多くの施設を増設できた背景には最新技術の導入があり、その痕跡を、今に残る遺構からも見ることができます。国家体制の発達とともに寺院も発展を遂げ、より規模の大きい国家寺院が建立されていきました。仏教によって国を守る鎮護国家思想は、やがて東大寺の大仏建立へと引き継がれていくことになるのです。

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  • ところで、飛鳥時代といえば、墳墓(古墳)を想像される方も多いかもしれません。飛鳥時代は長い古墳時代の終盤にあたり、古墳のサイズは縮小され、新しいタイプの古墳も見られていくようになります。壁画が発見された高松塚古墳・キトラ古墳をはじめ、東アジアの影響を受けながら古墳もまた変化を遂げていきました。その最たるものが八角形墳で、天皇を頂点とする中央集権国家思想に基づき、生み出されました。

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1400年もの昔、諸外国と肩を並べるべく、試行錯誤を
繰り返しながら国づくりをすすめた先人たちの足跡が、
「飛鳥・藤原の宮都」には残っているのです。