マルコ山古墳
真弓丘と称される丘陵に築造された7世紀末後半~末の終末期古墳。
真弓丘と称される丘陵に築造された7世紀末後半~末の終末期古墳。国の史跡に指定されている。地ノ窪集落の東に位置する。
墳丘の対角長24メートル、高さ4.5メートルほどの多角形墳であり、その周囲に外周(直径24メートル)となる外部施設(石敷き)には排水施設を備えている。石槨は凝灰岩の切石を組合せた横口式で、内部は全面に漆喰が塗られている。
規模、構造が高松塚古墳と似ており、比較される。
被葬者は天武天皇の皇子説などがある。
出土品は、乾漆棺の破片、棺を飾る金銅製の六花形文様の金具などが検出されている。
墳丘の西南方向から大きな盗掘孔があり、鎌倉末期から室町初期にかけての盗掘が遺留品から判明している。
墳丘の対角長24メートル、高さ4.5メートルほどの多角形墳であり、その周囲に外周(直径24メートル)となる外部施設(石敷き)には排水施設を備えている。石槨は凝灰岩の切石を組合せた横口式で、内部は全面に漆喰が塗られている。
規模、構造が高松塚古墳と似ており、比較される。
被葬者は天武天皇の皇子説などがある。
出土品は、乾漆棺の破片、棺を飾る金銅製の六花形文様の金具などが検出されている。
墳丘の西南方向から大きな盗掘孔があり、鎌倉末期から室町初期にかけての盗掘が遺留品から判明している。