雷丘

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雷丘(いかづちのおか)

『日本霊異記』と『日本書紀』に雷丘に関連する伝承が記されている。
『日本霊異記』によると、
雄略天皇が后と寝ている所へ、家臣の小子部栖軽(ちいさこべのすがる)が気付かずに入ってしまい、天皇は照れ隠しと腹いせに、雷がなっていたことをよいことに、栖軽に「雷神を捕らえることができるか」と命じられる。栖軽は豊浦寺と飯岡の間にある丘に落ちていた雷神を輿に乗せ、連れ帰り天皇に献上するも天皇は光り輝く雷神に恐れをなし「落ちていた所へもどしなさい」とお命じになった。数年後、小子部栖軽が亡くなると天皇は彼の忠義を讃え、七日七夜祭られた後この丘にお墓と墓標(「取雷栖軽之墓=雷神を捕らえた栖軽の墓」)を建てた。これに腹を立てた雷神が栖軽の墓標を踏み潰すが、その割れ目に足か挟まり、再び捕らわれてしまう。天皇はこれをお聞きになり雷神を解き放たれた。そして再び「生之死之捕雷栖軽之墓」(生前も死後も雷神を捕らえた栖軽の墓)と記した墓標を建て直したとのことである。そしてこの雷神が落ちていた所を雷岡(雷丘)と呼ぶようになった。
とのことである。

また、万葉集には
『大君(おほきみ)は 神にしませば 天雲の 雷(いかづち)の上に 廬(いほ)りせるかも』
(大君は神でいらっしゃるので天雲の中にいる雷の上に仮の宮殿をお造りになっていらっしゃることだ)
という柿本人麻呂が読んだ歌がある。

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